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niwaringo.masuda

ひとりますだ

新聞を読む必要性とポケモンGO

pokemon-go

法人商売をしている場合は経済新聞や業界新聞を読むべきだと思っている。

なぜって、自分が向き合う対象と情報をあわせるためだ。

新聞は情報が遅いし正確とも言えない。そう思っていた時期が私にもありました。というか、いまでも若干そう思っている。しかし、そうであっても、自分が向き合うマーケットではどういう情報が流通しているのかを知っておく必要がある。相手と同じ文脈を手に入れるためには。

他人のことをわかるなんて不可能だ。いくら想像してもわかりっこない。だからこそ、相手の気持ちに、相手に少しでも近づくために相手と同じものに触れるのである。

こう考えると、社会現象にまでなって、多くの人がやっているであろうポケモンGOは、ゲーム業界のみならず多くの業界で取り組むべき対象なのではなかろうか。

という言い訳を考えてみた。

お昼を楽しめないのは誰のせい、それはあれだ

Fatigué?

社会人になってからの90%以上は、ひとりでお昼を食べている。このひとりでの昼食はわたしにとって欠かせないものであり憩いの場である。

昼食をひとつの店に通い続けることはしない。

決まったものを食べ続けるのは全然平気なのだが、その店の常連になることを自分の中で恥ずかしく感じるからだ。店側な覚えていないし誰に避難されるでもないのに、自分のなかで勝手に気恥ずかしくなって気後れしてしまう。

ひとつの店に通い続けれない以上、昼食場所の選択という苦痛が毎日発生する。

ほんとうはランダムが楽なのだろうが、感情の壁が立ちはだかる。いっぱしにその日の気分がある。「今日は中華が食べたいな」とか「昨日はのんだからラーメンを食べたい」とかそんなやつである。ただ、具体的なメニューが思いつけばいいのだが、「肉な気分」とか「和食は嫌」とか、われながらメニューを決めるのが面倒な感情である。

それでもなんとか店を決めて昼食を楽しむわけだけれども、帰り道のことを考えると憂鬱になる。

帰り道に気になるお店が目に入るとする。「ここは良さそうだな、あした来てみようかな」なんて思うのだけれど、「そんなこと思いながらも結局こないんだよな」って落ち込む自分が想像できる。そんなことが起きそうで憂鬱になるのである。

ここまで書いてみて思ったけど、じぶん、全然お昼を楽しんでない…… だれのせいだ…… だれのせい、それはあれだ、夏のせい ☀️🏄🏻

グノシーのメールによる「マイニュース」配信終了、いままでありがとう

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グノシーのメールによる「マイニュース」配信が終わってしまった。

メールをさかのぼって検索してみると、2012年のからお世話になっていたようだ。約4年間かなりのヘビーユーザーだった。それだけに結構悲しい。

アプリに注力している現状ではしかたがないのだろう。

ただ、メールというチャネルで20個程度の記事を紹介してくるのは重宝していた。サービス提供者からすれば嬉しくないのだろうけど、時間をかけずに手軽に楽しめた。

Crowsnestの終了といい、今回のグノシーの終了といい、さっと記事をを眺めることができるサービスは滞在時間があがらないため、広告効果なども弱くサービスの維持が難しいのだろうか。

すこしさみしい気もするが、これも時代なのだろう。最後にお礼だけ言わせてもらっておく。

はやりのビジネス書を時間をおいてから読む熟成読書のすすめ

熟成読書というのを密かな楽しみにしている。

なにかっていうと、発行から数年〜10数年おいてから当時話題になっていたビジネス書を読むという読書スタイルのことである。ま、わたしが勝手に言っているだけなのだが。

狂騒が過ぎ去った後に「インターネットで商社はなくなる」的な本を読んだり、熱狂が冷えきった後に「みんなの意見は案外正しい」的なWeb2.0本を読んだりするだけなのだが、これが存外にオモシロイ。

あらかじめ断っておくと、当時の自分の発言が蘇ってきて心がチクチク傷んだり、ああーって叫びたくなるので注意が必要である。

いまの熟成読書のオススメは、「FREE」的なフリーミアムの本だろうか。またあと少し先に、人工知能やディープラーニングな本を読むのが今から楽しみでならない。

この熟成読書、熱しやすく浮かされやすい自分の欠点をみつけるためにはもってこいであるが、他人を傷つけるためにするのは避けなければならないは言うまでもない。

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人工知能は人間を超えるか (角川EPUB選書)

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いいひとにだめなアダ名を思いつく自分に落ち込む

Donald Trump

近所のスーパーにトランプに似た髪型の店員さんがいる。

初めて見た瞬間、こころの中で「トランプ」ってアダ名を付けてしまった。もう無意識に付けてしまったのだ。

スーパーのトランプさんは、仕事が非常に速い。レジを打つのも効率がいいし、レジが混んでいるときにサッと助っ人に入ってくるさまはヒーローのようだ。

でも、わたしはそのひとに「トランプ」ってアダ名を付けてしまっている。

レジで見かけると、「トランプさんのレジに行こう」って一直線に狙っていく。だってトランプさん、レジがすごい早いから。

感謝こそすれ、馬鹿にする気は微塵もない。

でも、「トランプ」ってアダ名を付けてしまっている自分に落ち込んだりする今日このごろ。

データドリブンの意味が移り変わっていく

Using data

「データドリブン」という言葉がある。この言葉の意味は「データに基いて人が意思決定していくこと」だと長く認識していた。例えば「勘や経験ではなく、CTR・CPAなどを見ながら広告を改善していく」というようなものがデータドリブンだと思っていた。

ただ、どうもこの言葉の意味が変わりつつある。

最近は「データドリブン」というと「データに基いて機械が自動的に何らかの処理をすること」という意味で使われている事が多い。「RTBのようにデータドリブンで広告を入札する〜〜」という具合。

言葉の意味が変わるのは問題ない。ただでさえ変化のはやい広告・マーケティング関連用語ならなおさらだ。

ただ、今までデータドリブンが意味していた「データに基いて人が意思決定していくこと」は何て呼べばいいんだろ。人間が意思決定するなんて必要ないという天啓なのだろうか。

電話を電話ミーティングにして突然の電話をへらす方法

phone

プライベートではコミュニケーションの脇役に追いやられている電話であるが、仕事ではまだまだ主流である。

わたしは仕事での電話が嫌いだ。言った言わないになりやすいし、いきなり割り込んでくる(これはチャットもそうだが)のは、本当に勘弁して欲しい。

よほどの急ぎでないかぎり、仕事のコミュニケーションは非同期を中心にしたい。ずっとそう思い続けてきた。

そして、最近はひとつの解決方法が上手くいっているので共有してみる。

その方法とは「電話をする」を「電話ミーティングをする」に置き換えるのである。「は!?」と思われるかもしれないがもう少し聞いて欲しい。

やりかはこうだ。まず、電話が好きな相手が現れたら、積極的にこちらから「○○について一度相談したいので『電話ミーティング』がしたい。ついては、○日○時に電話してもよいだろうか?」という相談を投げかけて、電話をするということをミーティングと同義の扱いにするのだ。これを何度か繰り返す。

すると相手は「あいつは電話をする前に時間を決める思想の持ち主か、さもなくばあそこの会社はそういう会社なのだろう」というふうに思ってくれる。

大事なことは、まず自分から先に電話をすること。そして「電話 = MTG = 時間を事前に決めるもの」という図式を確率させたあとに、徐々にメール中心のコミュニケーションへシフトしていくのだ。

気をつける点をもうひとつ。メールのレスは可能なかぎり早くすること。メールのレスが遅いと結局は電話がかかってくるようになり、それまでの苦労が台無しになる。ここは注意が必要。

コンビニコーヒーに現れる王者セブンイレブンのコンビニ力

Miyano Seven Eleven at Dawn

絶対王者。売上もさることながら、コンビニ王者としてのセブンイレブンの地位は揺るぎない。

セブンイレブンのコンビニ力の強さは、コンビニコーヒーによく表れている。ファミリーマートで比較してみよう。

まずはサイズ。ファミマ、セブンともにアイスコーヒーは2種類だが、サイズの呼び方が違う。ファミマは「S」と「M」なのに対してセブンは「R」と「L」だ。内容量は違わないだろうが受ける印象は大きく違う。庶民的にお得に感じるのは「L」の方だ。

次に容器。ファミマではアイスコーヒーとアイスカフェラテが同じ容器である。必然、毎回店員さんに「どっちですか? コーヒー? カフェラテ?」って聞かれる。これ、返答するのが面倒。「アイスコーヒーです😗」と毎回言うのも面倒だし、言う前から「アイスコーヒーですよね?」なんて常連扱いも面倒。セブンではちゃんと容器自体が「透明(アイスコーヒー)」と「黒の不透明(アイスカフェラテ)」で違うから、こんな心配は無用なのである。

コンビニにはコミュニケーションは求めない。求めるのはスピードなのだ。

「細かい事もネチネチと……」と思われるかもしれない。しかし、こういう小さなつみ重ねが大きなコンビニ力の違いになっているのだろ感じている。

データは相関していないが状況は相関しているというダークサイドほいほい

デジタルマーケティングにおいての効果測定は日進月歩である。今日はなんとなくしか分からなかったものが明日にはデータでわかるようになっている、かもしれない。

例えば、オンライン広告なんかは、クリックだけでなくビュースルーでのコンバージョンが媒体の管理画面で分かるし、CRM系データとつなげると媒体をまたがったアトリリビーション的な分析も可能だし、LTVと広告をつなげることも可能になる。

広告費用がブラックボックスと言われていた時代を経て、いまではさまざまなデータが結びついて直接的な効果測定が可能になりつつある。

しかしである。データのつながりではどうやっても相関、因果関係がないのに、現象としては相関しているという状況が生まれることがあるのだ。

たとえば、ディスプレイ広告を出稿するとコンバージョンがふえる。しかし、コンバージョンユーザーの履歴を見ても該当広告に接触した経歴はないし、媒体側でもビュースルーは上がっていない。

つまりディスプレイ広告とコンバージョンに関係はみられないため、ディスプレイ広告は失敗という判断になる。

なので、そのディスプレイ広告をやめることにする。するとだ、コンバージョン数が落ちる。あれ? なんて思いそのディスプレイ広告を再開すると…‥ コンバージョン数が増える。でもやっぱりデータに関連はみられない。こんなのが手を変え品を変え繰り返される。

どうしろってんだ。

いやー、データがすべてでないよ。なんてダークサイドに堕ちそうだよ。

ニコニコはおじさんのものという記事をよんで

togetter.com

ニコニコ動画とかニコ生は若いひとたちのものだと思っていた。

ただ、それは既に過去となり、若い人は閲覧するための動画はYoutubeでみて、コミュニケーションとしての動画はスナップチャットやLINE_LIVEだそうだ。

マーケティング系メディアでは、若者はスナップチャットスナップチャットとしきりに取り上げているが、どうも本当なのだろう。

話は変わるが、若いときには「大河ドラマ」や「NHK朝ドラ」を見ているひとは、親を除けばまわりにいなかった。しかし今はどうだ。真田丸だ、あまちゃんだ(古いのは承知)という話題に囲まれている。

大河ドラマや、NHK朝ドラというものは、一定以上の年齢になれば観るようになる傾向があるのではないだろうか。

翻って、ソーシャルプラットフォームでこのような性質を持つサービスはみあたらない。冒頭の例で言えば「ニコニコはおじさんのものだが、歳を取るとニコニコを使うようになるよね」というような現象は起きていない。

コンテンツの創出をユーザーに任せると、常連の加齢にともないユーザー層が加齢していくのは仕方がないのだろうか。

なんてことを考えながら、若い人のサービス情報をメディアから取得しないとわからない自分に幻滅している今日このごろである。

雨の日はやる気がでない

p1370413

雨の日はなんとなくけだるい。やる気がでない。

いろんな情報が錯綜しているが、実際にわたしの身体は雨・低気圧になると頭痛を発症することがおおいし、そもそもやる気がでない。

雨のちからは強大である。だからやる気がでない。

「いやいや、雨のちからはそんな大したことはない。気合が足りんのじゃー」というマッチョな考えもあるかも知れない。でもさ、そういう考えを聞くことすらも雨の日にはしんどい。「雨だからね〜」ってさらりと流したい。雨の日に針小棒大は似合わない。やる気が無いにそんな意味はなく、ただただやる気がでないだけである。

こんな駄文を書いてみたら、やる気が出てくるだろうか? って思ってみたけど、やっぱり駄目だった。

ルールは守らないけどルールを作りたい人、自力で育ったけれど教育したい人

「もっと効率化するためにルールをつくりたいんだ!」、「やっぱり教育だよ、教育」。

ルールをつくるのが大好きな人、教育したくてたまらない人が社会にはびっくりするくらいたくさんいる。

学生時代にこんな人たちはいなかった。サークルをもっと潤滑に回すためにルールをつくろうとか、このバイトの教育プランは改善する必要がある、なんてセリフは一度も聞いたことがない。(学生時代なんて、もう、だいぶ前なので記憶があやふやではあるんですがね)

でも、社会にでると、右を向いても左を向いても「ルール化しないと、仕組み化しないと」って脅迫観念をもっている人をみかけるし、石を投げれば部下・後輩の教育について一家言ある人にあたる。

でも、大体うまくいっていないよね…… なんてのが言いたいのではなくて、こういうルール化や教育が大好きな人って似た特徴もってるなーなんて思うんですよ。

なにかっていうと、本人たちは、「つくる側・おしえる側に回るのは好きだけど、まもる側・おそわる側に回るのは嫌いだ」ってこと。

ルール化したがる人は、他人がつくったルール、ヘタすると自分がつくったルールでさえ守るのが嫌いだ。教育が好きな人は、自分は自己流で成長したってなんどもなんども自慢する。そんな傾向ありません?

もしかしたらこういう人にとって、ルール化や教育は自己表現なのかもしれない。偏った承認欲求の現れかもしれない。なんてふうに考えると、春のウキウキも過ぎ去り迫り来る梅雨に億劫になるこの季節に考えがちなあれやこれやも、すこしは気が楽になりませんかね。

寄る年波には勝てないし低気圧にも勝てないから準備をしておく

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寄る年波には勝てない。ボロ負けである。腰は痛いし、心持ち肩も思い。肌に張りはなくなり、あちこちが乾燥する。

低気圧にはズタボロにされる。なにをするのも億劫になり、外出する気力が奪われる。食事も手抜きになるし、ややもすると頭痛が襲ってくる。

こういうのには敵わない。勝てない。逆らえない。だから粛々と受けいれるしかないのだ。現実はそんなものである。

ただね、予測と準備はできる。

腰が痛くなるまえにストレッチと筋トレをしたり、肌がかゆくなるだろうから保湿剤を常備しておく。スマホに天気予報や気圧を教えてくれるアプリを入れておけば、気分が優れなくなる日の準備ができるし、頭痛薬を確かめて備えることができる。

「どうにもならないこと」っていがいとおおい。これはもう流されるしかない。

でも、流されるのは仕方がないけれど、溺れないようにはしたい。なんで流されるんだ! って腹をたてるより、受け入れて右に流す(こんなネタのひといましたね)、そういうことがだいじ。

そんなふうに思うんです。

Photo credit: Raquel Sánchez Lahoz via VisualHunt / CC BY-NC-ND

継続は難しいと落ち込むサイクルを繰り返すことは継続できてます

なにをいまさらっていう話ですが、継続というのが本当に難しい。

ブログを書く、英語を勉強する、早寝早起き、やればいいのがわかっていながらも続けれない。好きなゲームなんていう楽しいことであっても飽きてしまって継続できない。

タスクツールや習慣化ツールは数あれど、それらを使うことを継続できない。

継続できないってわかっていながら、1週間くらい続けるとイシキが高くなり「継続ってだいじだよねー」なんていきがってしまう。3日後くらいに思い出して死にたくなる。

ちょっと続けて継続大事だといきがって、挫折して、継続は無理ゲーと落ち込む。このサイクルだけは継続できているかもしれない。

新人のころの自分を思い出して今のふりをなおす

新社会人のひとたちが街に繰り出す季節になった。

この季節は自戒の季節。昔の自分が嫌だったひとや嬉しかったひとを思い出して我がふりをなおしたい。

嫌だったで真っ先に思い浮かぶのは、新人にドヤ顔の説教するひとである。正確に言うと新人時代に訊いているときは「なるほどな〜 」なんて思うだけれど、時間がたつにつれて化けの皮が剥がれていく人たちである。

例えば「なぜ」を5回とかね。自分の企画のためなどに「なぜ × 5回」をするのはいいけれど、こういうのを新人にドヤ顔で話すひとは一皮むけば中身がスッカスカだ。なぜ新人になぜを5回繰り返せと言いたいのか? をなぜなぜなぜなぜなぜと5回繰り返してほしいものである。

新人の成長する速度は早い。薄っぺらい承認欲求を満たしている間に化けの皮が剥がれてしまうものである。

逆に新人のときに出会ってよかったひとは、わがままな求道者だ。じぶんの求める道のためには実力不足の新人にも妥協させない。当時は本当に理不尽だと憤っていたが今となれば本当に感謝している。今思い出しても理不尽だけど‥‥

とにかく、自分がされていやなことはしない、というのが社会人の基本なので自分にもあてはめておきたい。