niwaringo.masuda

ひとりますだ

お仕事でお礼を言われたらうれしいから自分も言うようにしたらよいだけ

コンビニでお礼を言うの言わないのが少し盛り上がっている。

わたしは言う派。

学生時代は飲食店でバイトしていたし、飲食フランチャイズチェーン店で働いているときは現場にも出ていたりしているので、サービス業経験はある。いまは、普通のBtoB企業で働いているからサービス業経験は「あった」という方が正確だろうか。

個人的には「別にどんな仕事でもお礼を言われたら嬉しくない?」という単純な思いから、コンビニだろうが居酒屋だろうが雑貨屋だろうが「ありがとう」を言えば良いと思っている。ただ、正直「ありがとう」でも「無言」でも相手に不快を与えない限りどうでもいいよねというのが一番の本心である。

「絶対にありがとうと言わないマン」とか「絶対にありがとうと言わせたいマン」とかのひとは何と戦っているんだろう。

そう言えば少し前に、居酒屋で飲み物や食事を運んできてくれた店員さんに「ありがとう」派と「すいません」派と「無言」派に別れるよね―というお題で盛り上がった事があった。このとき、ひとしきり盛り上がったあとに結局はどうでもいいよねという結論になったのだが、今回のコンビニでお礼を言うのかも対立を楽しみはするけれど、実のところどうでもいいというの現象なのだろう。

宿便みたいな失敗を出すと心が軽くなるよね

生きてれば、そら失敗もたくさんある。大きなものから小さいものまで失敗まみれである。

歳をとってよかったなー、って思うことの一つに「失敗を自分でちゃんと認められるようになる」と言うことがある。経験ゆえか諦めゆえか、「あー、あれ、失敗したなー」って自分に正直に思えるようになる。

ところがどっこいここに壁が立ちはだかる。失敗を口に出すという高い壁。

認めてるんですよ。ちゃんと。あれ、失敗だったって。もう混じりっけなしの失敗。でもね、口に出せない。アルコールの力を借りても「ああー、そやね」なんて曖昧な返事が精一杯。認めれたとか嘘だろ、まだまだ怖がってるやん、ってなことになる。

この時期が意外と長い。

でもね、これ、乗り越えると凄い気持ちが良い。汚いけど便秘みたいなもんやね。出るまで苦しいけど出てしまうとすっごい楽になる。

まあ、まだまだ宿便のようにできってない失敗を抱えてるんですがね。

キライなひとに注意を奪われるくやしさ

なんか、えらい起業家のひとが「決断力は1日の中で有限だから毎日同じ服を着る」みたいなことを言っていた。マークザッカーバーグだったか、スティーブ・ジョブズだったか。多分両方だった気がするけど調べるのが面倒だからどっちかかどっちもだ。

それはさておき、注意力にも同様のことが言えると思っていて、1日の中で注意できる力はそれほど多くない貴重な資源だ。貴重だからこそ有意義に使い無駄にしたくない。クヨクヨ考えるよりもウキウキすること、ダメなことよりイイこと、嫌いなことより好きなことに使いたい。

でも、1日の中で結構な注意力がキライな人に対するイライラで奪われる。しつこい性格が災いしているのか、大体みんなこんなものなのか。

締めで何か前向きなことがあればいいけど、思いつかずに悲しい気持ちになっている報告までである。ま、こんなもんなのかもしれないけど、なんか悔しいね。

ソーシャルで、見ず知らずの人の文脈がわかってなにになるのさ

Twitterなんかでフォローしている人のつぶやきの裏にある文脈がわかる時がある。あー、このエアリプはあの人に向けてんのかなーなんて。

ソーシャルネットワークに触れる時間が増えれば増えるほど、誰それの関係とか、これは少し前に言及していたあれが伏線になってるな、なんて人の文脈がわかるようになる。

でも、これ、なにになるのさ。たくさん時間費やしてこんなことがしたかったんだっけ。

興味があることを勉強するより、わがままに行動をしよう

自分の今の状況に不満があっても、ぐっと堪え、興味があることを勉強する。えらいね、がんばってるね、なんて努力を認めてもらえるだろう。

継続は力、持続していると知識はついてくるし、その目指したい環境でやっていける自信もつくかもしれない。この状態が悪いとは言わないが、なるべく早く抜け出したほうがいい。

評価は、なにを知っているかではなく、なにをしたのか、だからだ。

物知りキャラだったり、真面目な勉強キャラなんてものは、時間が経てば行動できないキャラに変わってしまうのである。

もし、いまの自分の立場に不満があって、興味があることを勉強していたりすると、はじめは褒めてもらえる。努力を認めてもらえる。確かに大事なことだ。しかし、いつまでもその状況に浸かっていたら先に待ってるのは悲しい結末だ。

勇気の足りなさを知識で包み込む前に、自分のやりたいことはやりたいと、わがままになっていいのである。

給水所で粉ふきいもを用意するひと

Twitterで「フルマラソンの給水所で粉ふきいもを用意するひと」というフレーズを見うけた。

いるよねー。こういうひと。

ランナーは、水を求めているのに、人と違うことを表現したくて相手にとって迷惑なことをするひと。既存の常識に囚われないらしいが自分の思い込みに囚われているひと。その思い込みは盛大に間違ってるんだけど。

想像力が乏しくて、明後日の方向を突っ走るひと。目ん玉がキラキラしてて怖いんだよね。こちとらギラギラ目ん玉でもなんでもいいから、役に立つものを求めているのにね。こっちが欲しいのは思いやりではなく思考力だよ。

フルマラソンみたいに頑張っている人に憑依して、勝手にランナーズハイになるひと。で、そのノリで水だけでなく栄養を的なノリで粉ふきいもを置きだすんだよ。一体となって応援というセリフはランナー側が言うセリフなんだよね。

この手のひとは社会に一定数いて争っても仕方がない。粉ふきいもを作ってくれたことに感謝を述べつつも、水をいただき水を用意してくれた人により感謝を述べるようにしたい。

歳をとって金で時間を買っていたつもりだけど、実はただの加齢だった疑惑

出来ることならお金で時間を買いたい。

時間をかけていろんな回り道をした。そうやってわずかばかりの知恵を手に入れた、はずである。

これからもずっと回り道をしたいとは思っていない。手に入れた知恵を使って効率よくいきたいじゃない。無駄な時間を過ごすくらいならお金をつかって解決しようよ。

そうやって最近は効率よくなってきたと思っていたわけである。

でも、ふと思う。効率のために時間を買っているのではなく、老化により動けなくなっているだけでないか、と。きっとお金はただ浪費しているだけ。

色々時間をかけて格安SIMを使うくらいなら、多少高くてもキャリアと契約していればいい。調べる時間のほうがよっぽど高コストだ。そう思っていたけれど、これ本当? 格安SIMを理解する能力が退化して無くなっているだけじゃないの?

加齢だよ。加齢。歳とって知恵をつけたんじゃなくて、老化により能力が退化しただけ。

こう思うと、若い頃も時間を犠牲にして知恵を手に入れたのではなく、知恵なんてまったく得ておらず時間を浪費していただけかもしれない。

若い頃は時間を浪費して、歳をとるとお金を浪費する。なにかを手に入れたなんて幻想。ただの浪費。

悲しいね。

「いや、そもそもね、浪費が悪いって誰が決めたの? 無駄なものこそ人生を豊かにするんだよ、わかってる?」なんて強がればいいんだろうか。

よく分からないから、若い頃なら嬉々としてやっていたけれど、いまは億劫でやりたくないことに再チャレンジしようかと思う。

具体的には格安SIMに挑戦してみようと思う……

こうやって理屈こねて、目標という名目をつけてすぐやらないのはまぎれもない加齢だよな。

ちょっと待って、その課題を解決して注目される前には課題の定義が待ってるよ


課題解決。お仕事をしていると何度も何度も耳にする。PDCAと双璧をなしていると言ってもいい。

みんなが大好きな課題解決には2つのステップが必要である。1つ目が課題の定義、2つ目が課題の解決。

コンサルや代理店などのクライアントワークでは主に2つ目の課題解決が求められる。一方、インハウスで何かを運用するときには1つ目の課題定義を求められる傾向にある。

ここ、試験に出るから。

クライアントワーク型からインハウス型にジョブチェンジをするときはここに気をつけて。大事なことだから2回言うけれど、課題を解決する前には、課題を定義するというお仕事が存在するのだ。

現状とゴールのギャップを理解して、目の前にゴロゴロ転がっている課題を取り上げる。手にとってみると解決インパクトと難易度がちぐはぐ、だから費用対効果を想定してどれを解決するのか決めて各所と合意をする。こんな面倒な工程を経なければならないのだ。

想像してみてほしい。部門間調整が必要だから難易度マックスのくせに解決しても効果が薄い課題が目の前にある。スルーを決め込みたいのに、なぜか外野から、それを解決してほしいなんて身勝手な要望が来るんだよ。おかしくない? キラキラした先進的な取り組みをしてメディアで取り上げられる予定だったのに。

素晴らしい課題解決プレイヤーが、転職して輝きを失ってしまう原因の大きな1つがこれである。

しつこいけれどもう一度。課題を解決するためには課題を定義するという前工程が必ずある。課題の解決が得意な人がジョブチェンジをするときは気をつけなければならないし、面接する人は課題定義の能力をテストしておかないと不幸が起きる。

これから転職の季節、各位ご自愛ください。

イシューからはじめよ ― 知的生産の「シンプルな本質」

イシューからはじめよ ― 知的生産の「シンプルな本質」

新聞を読む必要性とポケモンGO

pokemon-go

法人商売をしている場合は経済新聞や業界新聞を読むべきだと思っている。

なぜって、自分が向き合う対象と情報をあわせるためだ。

新聞は情報が遅いし正確とも言えない。そう思っていた時期が私にもありました。というか、いまでも若干そう思っている。しかし、そうであっても、自分が向き合うマーケットではどういう情報が流通しているのかを知っておく必要がある。相手と同じ文脈を手に入れるためには。

他人のことをわかるなんて不可能だ。いくら想像してもわかりっこない。だからこそ、相手の気持ちに、相手に少しでも近づくために相手と同じものに触れるのである。

こう考えると、社会現象にまでなって、多くの人がやっているであろうポケモンGOは、ゲーム業界のみならず多くの業界で取り組むべき対象なのではなかろうか。

という言い訳を考えてみた。

お昼を楽しめないのは誰のせい、それはあれだ

Fatigué?

社会人になってからの90%以上は、ひとりでお昼を食べている。このひとりでの昼食はわたしにとって欠かせないものであり憩いの場である。

昼食をひとつの店に通い続けることはしない。

決まったものを食べ続けるのは全然平気なのだが、その店の常連になることを自分の中で恥ずかしく感じるからだ。店側な覚えていないし誰に避難されるでもないのに、自分のなかで勝手に気恥ずかしくなって気後れしてしまう。

ひとつの店に通い続けれない以上、昼食場所の選択という苦痛が毎日発生する。

ほんとうはランダムが楽なのだろうが、感情の壁が立ちはだかる。いっぱしにその日の気分がある。「今日は中華が食べたいな」とか「昨日はのんだからラーメンを食べたい」とかそんなやつである。ただ、具体的なメニューが思いつけばいいのだが、「肉な気分」とか「和食は嫌」とか、われながらメニューを決めるのが面倒な感情である。

それでもなんとか店を決めて昼食を楽しむわけだけれども、帰り道のことを考えると憂鬱になる。

帰り道に気になるお店が目に入るとする。「ここは良さそうだな、あした来てみようかな」なんて思うのだけれど、「そんなこと思いながらも結局こないんだよな」って落ち込む自分が想像できる。そんなことが起きそうで憂鬱になるのである。

ここまで書いてみて思ったけど、じぶん、全然お昼を楽しんでない…… だれのせいだ…… だれのせい、それはあれだ、夏のせい ☀️🏄🏻

グノシーのメールによる「マイニュース」配信終了、いままでありがとう

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グノシーのメールによる「マイニュース」配信が終わってしまった。

メールをさかのぼって検索してみると、2012年のからお世話になっていたようだ。約4年間かなりのヘビーユーザーだった。それだけに結構悲しい。

アプリに注力している現状ではしかたがないのだろう。

ただ、メールというチャネルで20個程度の記事を紹介してくるのは重宝していた。サービス提供者からすれば嬉しくないのだろうけど、時間をかけずに手軽に楽しめた。

Crowsnestの終了といい、今回のグノシーの終了といい、さっと記事をを眺めることができるサービスは滞在時間があがらないため、広告効果なども弱くサービスの維持が難しいのだろうか。

すこしさみしい気もするが、これも時代なのだろう。最後にお礼だけ言わせてもらっておく。

はやりのビジネス書を時間をおいてから読む熟成読書のすすめ

熟成読書というのを密かな楽しみにしている。

なにかっていうと、発行から数年〜10数年おいてから当時話題になっていたビジネス書を読むという読書スタイルのことである。ま、わたしが勝手に言っているだけなのだが。

狂騒が過ぎ去った後に「インターネットで商社はなくなる」的な本を読んだり、熱狂が冷えきった後に「みんなの意見は案外正しい」的なWeb2.0本を読んだりするだけなのだが、これが存外にオモシロイ。

あらかじめ断っておくと、当時の自分の発言が蘇ってきて心がチクチク傷んだり、ああーって叫びたくなるので注意が必要である。

いまの熟成読書のオススメは、「FREE」的なフリーミアムの本だろうか。またあと少し先に、人工知能やディープラーニングな本を読むのが今から楽しみでならない。

この熟成読書、熱しやすく浮かされやすい自分の欠点をみつけるためにはもってこいであるが、他人を傷つけるためにするのは避けなければならないは言うまでもない。

フリー ―<無料>からお金を生みだす新戦略

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人工知能は人間を超えるか (角川EPUB選書)

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いいひとにだめなアダ名を思いつく自分に落ち込む

Donald Trump

近所のスーパーにトランプに似た髪型の店員さんがいる。

初めて見た瞬間、こころの中で「トランプ」ってアダ名を付けてしまった。もう無意識に付けてしまったのだ。

スーパーのトランプさんは、仕事が非常に速い。レジを打つのも効率がいいし、レジが混んでいるときにサッと助っ人に入ってくるさまはヒーローのようだ。

でも、わたしはそのひとに「トランプ」ってアダ名を付けてしまっている。

レジで見かけると、「トランプさんのレジに行こう」って一直線に狙っていく。だってトランプさん、レジがすごい早いから。

感謝こそすれ、馬鹿にする気は微塵もない。

でも、「トランプ」ってアダ名を付けてしまっている自分に落ち込んだりする今日このごろ。

データドリブンの意味が移り変わっていく

Using data

「データドリブン」という言葉がある。この言葉の意味は「データに基いて人が意思決定していくこと」だと長く認識していた。例えば「勘や経験ではなく、CTR・CPAなどを見ながら広告を改善していく」というようなものがデータドリブンだと思っていた。

ただ、どうもこの言葉の意味が変わりつつある。

最近は「データドリブン」というと「データに基いて機械が自動的に何らかの処理をすること」という意味で使われている事が多い。「RTBのようにデータドリブンで広告を入札する〜〜」という具合。

言葉の意味が変わるのは問題ない。ただでさえ変化のはやい広告・マーケティング関連用語ならなおさらだ。

ただ、今までデータドリブンが意味していた「データに基いて人が意思決定していくこと」は何て呼べばいいんだろ。人間が意思決定するなんて必要ないという天啓なのだろうか。

電話を電話ミーティングにして突然の電話をへらす方法

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プライベートではコミュニケーションの脇役に追いやられている電話であるが、仕事ではまだまだ主流である。

わたしは仕事での電話が嫌いだ。言った言わないになりやすいし、いきなり割り込んでくる(これはチャットもそうだが)のは、本当に勘弁して欲しい。

よほどの急ぎでないかぎり、仕事のコミュニケーションは非同期を中心にしたい。ずっとそう思い続けてきた。

そして、最近はひとつの解決方法が上手くいっているので共有してみる。

その方法とは「電話をする」を「電話ミーティングをする」に置き換えるのである。「は!?」と思われるかもしれないがもう少し聞いて欲しい。

やりかはこうだ。まず、電話が好きな相手が現れたら、積極的にこちらから「○○について一度相談したいので『電話ミーティング』がしたい。ついては、○日○時に電話してもよいだろうか?」という相談を投げかけて、電話をするということをミーティングと同義の扱いにするのだ。これを何度か繰り返す。

すると相手は「あいつは電話をする前に時間を決める思想の持ち主か、さもなくばあそこの会社はそういう会社なのだろう」というふうに思ってくれる。

大事なことは、まず自分から先に電話をすること。そして「電話 = MTG = 時間を事前に決めるもの」という図式を確率させたあとに、徐々にメール中心のコミュニケーションへシフトしていくのだ。

気をつける点をもうひとつ。メールのレスは可能なかぎり早くすること。メールのレスが遅いと結局は電話がかかってくるようになり、それまでの苦労が台無しになる。ここは注意が必要。