niwaringo.masuda

ひとりますだ

うまく消費をするということ

生産という行為を目的とした会社組織に帰属することにより、大多数の人は「いかに生産をするのか?」という事に重きをおいて時間を過ごすようになる。ただ、ある時を機に、人生はいかに生産するよりいかに消費するのかが大事になってくるのではないだろうか。

「偉い男」ほど厄介なことになる - Ohnoblog 2

このエントリーを呼んでそんなことを思った。

いかに生産をするのか?この事に縛られて時間を過ごしていくのは総じて男性が多い?会社にいる間は当然の事として、何かをいかに上手く生産するかということに重きをおいて時間を過ごす。会社の人間と飲みに行っても、結局仕事の話になる。オフと言いながらゴルフで人脈を生産しようとする。とにかく生産・生産である。

一方、女性は消費することが上手な傾向がある。ショッピングで時間と金を消費する。何気ない会話でコミュニケーションを消費する。男性はえてしてこれらの行為を批判しがちである。ただ、もしかするとこのような上手く消費をするという行為は、男性には難易度が高すぎて理解できないだけかもしれない。

* * *

働き続ける限りは生産という行為に関わり続けることができる。ただ、大多数の人は一生働き続けることができない。つまり、いつかは生産という行為から離れる必要がある。生産という存在価値の拠り所を取り上げられると言っても良い。それにより自分が酷く無価値なものに見えてくるのかもしれない。

自分自身、数年働いたあとにニートを経験したことがある。この時は、自分が無価値で自堕落でヒドく存在価値がないものに感じられた。まあ、実際に自堕落で無価値だったのだが、、、一時的なニートと全力で働き切った後の余生を比べるのは失礼かもしれない。ただ、実感として急に生産をしなくて良いからと言われると途方に暮れると言うのは何となく実感としてわかる。

心機一転、目一杯消費という行為を楽しめればそれに越したことはない。しかし、今までやっていなかった事を急にすることは非常に困難である。ましては、心の中に生産できないという後ろめたさを抱えながらであればなおさらである。

* * *

働き続けるうちに、「無為に消費をする」という行為に対してひひどくネガティブな印象を持つようになった。特に時間やコミュニケーションは目的を持って行うことが善で、無意味に消費することは悪だと思いこんでしまうフシがある。

ただ、このような考えはひどく狭量で勿体無い事なのかもしれない。ただ、無為にうまく時間を消費する、無為にうまくコミュニケーションを消費する。そのような事が全く想像がつかない。

まだ来ないが確実に来るであろう時に備えて、つらつらと考えているこの時が無為に時間を使っている事は確実ではある。うまいかどうかは別にして。