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ひとりますだ

キッチリ受けてズッポリはまる。レビューの落とし穴

 ソフトウェアやアプリケーション、書籍や文章、なんでもいい。なにかをつくる過程には「レビュー」というステップがはいりこんきて、それは『第三者からの評価を得るため』の有効な手段であると認識されている。実際に有効である。

 ただ、このレビューには多くの落とし穴があり、レビューという手法が有効なだけに、頭でわかっているにも関わらずハマってしまう事が多い。はい。何度もハマって申し訳ございません。

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 一つ目の罠。「レビュアーの意見は客観的では無い」という事である。自分の主観だけの危険性を排除するためにレビューを受けるわけだが、受取るレビューはそのレビュアーの主観である。(そもそも客観的などという物は、この世の中に存在しないのではないか?というような疑問は、色々とこじらせる可能性が高すぎるし、本旨でないのでここは無視して進む事にする)

 傲慢であってはいけない。レビューを無視しろという事ではない。ただ、レビューを受ける側としては、レビュアーの意見もあくまで主観であることを念頭において、自分の心の声に耳を傾けることをやめてはならない。きっと。

 レビュアーのその日の体調や気分もレビューを左右する重要な要因である。辛辣なレビューは、朝の夫婦喧嘩が原因かもしれない。脇の甘いレビューは、今日がレビュアーにとってかけがえのない記念日だからかもしれない。そもそもレビューの場が険悪になって、だれも意見を言いたがっていないかもしれない。自分が気づかないだけで。

 レビューをしてくれる人も人間である以上、『点』では正しいレビューを受けることは不可能である。複数回という点を繋いで『線』にしたり、数を増やして『面』にしたりと、工夫を凝らさないとレビューが迷走指示機になってしまう可能性がある。

 関係ないが、レビュアーなのかレビュワーなのか分からずにグーグル先生に聞いたらレビュアーというのがどうも一般的らしいので、ここではレビュアーに統一している。この手の英単語の日本語読みは難しい……

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 気をつけたいもう一つ。それは「レビューは過スペックを求める」という事である。

 現状システムの改善案のレビューをうけると、普段全くレポートを使用していない人物から新たなレポートの要望がきたり、一度も操作ミスを起こしていない画面に対して、操作性の悪さからの改善要望を指摘されたりする。

 人間、人から意見を求められると「いい事言おう」とする意識が強く出るものである。これはきっと防ぎようがない問題なのだろう。そのため、先人は「事実と意見をわけよ」というような名言を残してくれた。これはレビューを受取る側の最低限の心がけであろう。

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 何が正しいなんてきっと無い。レビューという手法は有効な手法なのだろうが、それを受けることが正しいとも限らない。爆発的な人気を誇るものは、合議の結果ではなく、一人の人間の内から沸き上がるモノの結晶だったりする。そして、そんな天才が「本当に自分が欲しい物を作るべき!!」なんて言葉を吐くと、「やはりそういうものか!」などと凡人のくせにクラっとくる。

 ただ、ただである。一部の天才以外はきちんとレビューを活用したほうがよい。謙虚に。でも、レビューを受ける「そのモノ」にコミットしているのは誰なのか?を忘れずにね。