niwaringo.masuda

ひとりますだ

どう伝えるかよりどう伝わるかを垂れ流す

「何かを伝えたい時は、『どう伝えるか』より『どう伝わるか』の方が大事」

 誰の言葉だったか。何かの本で読んだのか、誰かのブログで呼んだのか。自分の頭ではない事だけが確かな、しかし由来がはっきりしないこの言葉が好きだ。

 Google先生に聞けば由来が分かる?きっとそうだろう。だが、あえて調べないという事が世の中にあってもいいではないか。一度このような「あえて調べない」という事をやってみたかったので、今回この件は先生に聞かないでおく。

 「どう伝えるのか」「どう伝わるのか」、似て非なる二つの言葉。違うのは「伝える」と「伝わる」の『え』と『わ』の違い、文字にすればたった1文字である。しかし、1文字違うだけで実際に実行する難易度は桁違いだから厄介だ。

 『伝える』という場合は「自分」に重きをおいているのに対して、『伝わる』は「相手」に重きをおいている。つまりこの言葉は、何かを伝えたい時は「自分ではなく相手に重きをおくべきだ」という事の重大さを説いている。ま、それが出来れば苦労はしないってね……

 心の根がまっすぐでない私は、他人は自分に興味が無いと思っている。これを他人にも勝手に当てはめると、他人は自分以外の他人には興味が無い、つまり他人は相手の伝えたいことには興味がないという事になる。この土台に立脚すると、何かを伝えたい時に「どう伝えるか」は余り意味をなさない。伝える側がいろいろ考えたとしても、受取る方はそんな事はどうでもいいからだ。五十歩百歩、目くそ鼻くそ、同じ穴のムジナである。

 何か伝えたいことがある場合は「相手は自分の伝えたいこと、伝え方とかを含めた総合的な自分に興味がない」として「そんな相手がコレを聞いたらどう思うのか?」からのスタートをきらなければならない。面倒だから伝えたいことがなければスタートラインに立たなくていいよね。厄介なのは伝えたいことがある場合だ。この時に面倒なこれをせずに 「どう伝えるのか」からスタートをきるとゴールにはよりやっかいなシロモノが口を開けて待っている。

 「どう伝えるのか」をすると色々面倒な事でしんどくなる。かと言って「どう伝わるのか」を毎回考えるのも邪魔臭い。でも仕方ない。他人だもの。せめて身内に対する時くらいはこんな事気にせずにいきたいけどね。

 週末で疲れてくるとこのような意味もない中二病的な事が頭をもたげる。それに任せるままに「どう伝わるのか」を全く考慮せずにこのような事を書くのは、きっとこれが「伝えたいこと」ではなく「垂れ流したいこと」だからでしょうね。ねる。