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ひとりますだ

思い出は良いも悪いもなく、ただそこに在るだけ

湯沢高原でベビーカー乗車拒否を喰らった思い出の越後湯沢セキュリティワークショップ(山本 一郎) - 個人 - Yahoo!ニュース

著名な方が、観光地でベビーカー乗車拒否をされた顛末記を書かれている。曰く、「湯沢高原で少し混んでいるバスにベビーカーを畳んで乗ろうとしたら乗車拒否された。怒り心頭に発して家族を連れて歩いて登頂された」という事らしい。

ネットの反応をみると、ベビーカー云々という定例問題に発展しているものは少なく、「気持ちは分かるけど家族のためには自重しようよ」「せっかくの思いでが……子供カワイソス」的な反応が多いように見受けられる。

個人的には、家族にとってもコレはコレで良い思い出になるんじゃないかなって思う。


子供の頃、家族で旅行に行った思い出なんて殆ど無いのだが、数少ない思い出で覚えているのは、パーキングエリアか何かで食事が出てくるのが遅いことに腹を立てている父親の姿である。思い出の中で父親は、混雑した店内で自分の料理がでてくるのが遅いことに腹を立て、子供達に食べかけの料理を諦めさせ、プリプリしながら車に戻り、気まずい雰囲気で帰路につく、という傍若無人ぶりを発揮している。

が、それも今となっては良い思い出だ。記憶が間違っていたり誇張している事もあるかと思うが、父親のキャラクターを考えたらさもありなんである。

自分が、プリプリ怒って帰路についた父親と同じくらいの年齢になると、そんな父親のキャラクターすら懐かしく、愛おしく思えてくるから不思議である。

父親に対して、「大人げない事して思いでが台無しだ!」なんて負の感情は抱かない。折にふれて「そんな事あったよねー」と懐かしく思い出すのみである。

こんなもんじゃないですか、思い出って。


政治的抑圧だとか、虐待とかそういう絶対的な悪という思い出をされている方もいらっしゃると思う。

ただ、多くの通常の思い出は、無理に美しくしようとはせずに、ありのままで少しアレな所を含んでいる方が面白い。

若い頃の仕事で失敗した当時は、苦い記憶で思い出したくも無いものが、歳を取ると格好の酒の肴になるように、ダメな思い出の方が歳を取ると価値がでるという事があるのではないだろうか。


思い出の良し悪しは、思い出す時の自分の状態と相手との関係性に大きく左右される。

親が腹を立てて迷惑を被った思い出も、家族の関係が保てていれば「家族あるある」として一家のいい思い出になるのだろう。

きっと思い出自体はただそこにあるだけで、良いも悪いも無いのだろう。それが良い思い出なら、思い出している時の自分の状態が良いのかも知れない。悪い思い出なら、今、思い出の対象と関係がこじれているのかも知れない。

そんなものではないだろうか。