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niwaringo.masuda

ひとりますだ

ネットの文章を読むのを減らそうかと思う。

 なんの根拠もないのだが、人が一生の間に読める文章の総量が決まっていたとしたらどうだろうか。テロメアや心臓の鼓動のように何回とは決まっていないにしても、統計的には一定の制限が設けられている可能性が高いモノと同じように、人間の一生では文章を読める総量というものに制限があるのではないかという強迫観念にかられるようになった。

 もしそうだとすると、玉石混交で石の比率が圧倒的に多いネットの文章を読んでしまうことは、より良い文章に出会う可能性を自ら潰してしまっている事になってしまう。

 「いや、その読める文章の総量が決まっている前提条件が間違っているだろ」と言われればそれまでなんだが…… 人に与えられた時間は有限であり、多くの人は一日のなかで文章を読むことに費やす時間と言うのはある程度決まっているのではないか。

 少なくとも自分の場合は、ネットの文章を読むことに時間を費やすと、本などを読む時間は減る。つまり、文章自体を読む時間が決まっていて、その中でネットや本を読む時間をやりくりしているのだ。この辺りは疑問に思ってから1ヶ月程度記録をとってみた結果である。意識したことによるバイアスがかかったことは否定しない。

 というか別にいいのである。根拠が薄弱であったとしても。なぜなら、ネットの文章を読む時間を減らしたいという欲求があって、そのための理由を探しているのだから。おれ、がんばって、やめるんだ :)