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niwaringo.masuda

ひとりますだ

全体最適というモンスターの前でだいじな部分が危ないなら逃げちゃえばいい

部分最適と全体最適という言葉がある。

部分の最適化を繰り返していっても、全体の最適化にはならないし、全体最適をすると部分が跡形もなくなったりするは、みなさん御存知の通り。

部分が集まった全体なのに、最適化しようとすると、なぜかこんなことになる。いい悪いではなくそういうものだ。

無責任にコメントしていいのなら「やっぱり部分は犠牲にしてでも、全体を最適化していかないとね」とか言いたい。

だって、そのほうが頭良さそうじゃない。

でも、自分の価値観として、目の前の部分が全体よりだいじな事が結構ある。「たとえ自分にとって部分がだいじでも、全体最適という俯瞰の観点でね、ほげほげほげ」なんて口が裂けてもいえない場面が意外とある。

抽象的すぎて分かりにくいかもしれないけど、自分の専門職と会社全体とか、子供と学校全体とか、家族と社会全体とか、全体より部分がだいじなことってたくさんあるもの。

でも、自分の目の前のために全体が悪くなるがわかりながらゴネるのは、なんとなくしのびない。だからね、全体最適のお題目のために目の前の部分がダメになりそうになったら、逃げればいいんじゃないのかな。一目散に逃げるのが難しかったら、そーっと、しれっとね、逃げちゃえばいいんじゃないのかな。

 

photo by tiemposdelruido