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niwaringo.masuda

ひとりますだ

一を聞いて十を知っちゃうとケンタウロスは楽しめない

一を聞いて十を知る、という言葉があります。

たしかにこの言葉が意味するように、ものごとの一部を聞いたら全体を把握してしまう優秀な人はいます。

自分がそうじゃないから想像なんですが、こういう人たちって、今までの自分の経験や他のものごとを使いながら、聞いた一(いち)から残りの九を想像して十を知っているじゃないですかね。

なんでこう思うかっていうと、一を聞いて十を知る人たち、たとえ話がおおい気がしませんか? 自分も比喩を使いながら理解する癖があるから、ほかの人に説明するときは比喩が多くなるんじゃないのかなーって、なんの根拠もないけれど信じてます。これ逆はなくて、比喩をおおく使って話すようにしても、一を聞いて十を知るようにはならないのが悲しいところなんですけどね。

ただ、これ、きっと負け惜しみなんですけど、一を聞いて十を知っちゃう能力が高すぎることにもリスクあるよね、なんて勝手に心配しているのです。

ものごとの一部で全体を把握してしまう癖がついてしまうと、全体を知らないままになるんじゃないのか。なんてね。

例えばなんですけど、ケンタウロスっているじゃないですか。一を聞いて十を知っちゃう人って、頭だけみて「あー、人間だよね」って思ったり、下半身だけみて「うん、馬だね」なんて思ったりする傾向あると思うんです。

そうなると、珍妙なケンタウロスなんて生きものを楽しめないですよね。モッタイナイ。

ごめんなさい、やっぱり十を聞いて一(いち)しかわからない私は、比喩が下手ですねぇ。

なにが言いたいかっていうとですね、世の中は無駄なものがスゴく多くてもね、それも含めて十だから、一(いち)ばかりで判断して、スリムにしてしまうのって、なんかさみしいなって。想像で全部をわかった気になってしまうのって、なんかモッタイナイなって思うわけですよ。

一を聞いて十を知ることは出来なくてもですね、無理して一部から全体を把握しようとせずにね、ありのままで真っすぐにものごとを見れば、世の中おもしろいことがたくさんあるよね、って思う次第です。

 

photo by F. Tronchin