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niwaringo.masuda

ひとりますだ

知っているに絡みつくいろんな罠

「知っている」ということはスゴい武器になる。

Google先生に聞いたらいろいろ応えてくれると言っても、やはり知っている人に聞くのが一番いい。

でも、「知っている」にはいろいろな罠がある。

まずは、既得権益化される「知っている」。会社のルールとか、製品のTipsとか。誰もが「知っている」状態になるのが望ましいのに、なぜか知っている人が偉そうになって、その人は偉そうにするために意識的か無意識か知っている既得権益を守るために秘匿する。

「なんでも聞いてね」なんて‥‥ 聞かなくて済むようにしてほしいよね。

次は「知っている」つもり。知ったかぶりじゃないよ、知っている“つもり”。ネットとかで熱心に情報収集をしている人におおい罠。ネットで聞きかじった情報を正しいと思い込み、さらに自分の思い込みをないまぜにすることにより、いつのまにかそれが真実になっちゃう。実体験がないのに知っているつもりになる。

「なんでも聞いてね」なんて‥‥ それただの思いこみだよ。

合理的に突きつめて非合理になった「知っている」という罠もある。なにかひとつ成功したことを合理的に突き詰めていって、細かすぎて使いようがないまで突き詰めていって‥‥ 誰も使えない「知っている」という非合理な状態になる。イノベーションのジレンマみたいなやつやね。

「なんでも聞いてね」なんて‥‥ 細かすぎて使いどころがございません。

罠にはまらないためには、積極的に「知っている」ことを知るためのプロセス含めて開示していけばいいんだよ。そうしたら既得権益にもならないし、プロセスが恥ずかしいことに気がつくし、不必要に細かくなる前にだれかがストップかけてくれる‥‥ かもしれない。

競争が激しくなって知っている価値が落ちちゃう? 大丈夫、ちゃんとした知っているに至るプロセスは、だれでも真似ができるようでほとんどの人が真似をしないものだから。