「いいこと言うねー」、「うーん、言わんとすることはわかるけど‥‥」、「いやいや、お前が言うな」。正しいこと、素晴らしいことっていうのは、誰が言うかによって中身が大きくかわる。
例えば、「君のことを精一杯しあわせにするよ」なんて全力で素晴らしいことであっても、働きもせずに口ばっかりでゴロゴロしている人と、いろいろ苦労しながらも伴侶のために一生懸命がんばっている人では、おなじことでも中身は全く異なってくる。
でもね、字面であったり表面上は同じ「精一杯しあわせにするよ」なんだよね。
最近では、一生懸命がんばっている人の「君のことを精一杯幸せにするよ」がコンテンツになって拡散されて、よくないゴロゴロだけしている人がそのコンテンツを消費して、ソーシャルとかに「俺もいまの伴侶を精一杯幸せにしたい」なんてポストするっていう悲しいパターンがある。いや、いいから働けってね。
マーケティングなんかでいうと、日々数字と向き合いながらビジネスしている人が「やっぱりね、目先のことだけでなく、中長期的なことを見据えて認知というものに投資しないとね」なんて言うと、「そうだよね、やっぱり数字だけけじゃなくて、数字に現れない認知がだいじ」なんて間違ったコンテンツ消費をするひとが出てきたりする。いいから、まずはビジネスに貢献しろってんだ。
正しいこと、素晴らしいことって、やっぱりコンテツとして力を持つんですよ。だけどね、それを消費するのって、実はそれなりに大変なんですよね。