niwaringo.masuda

ひとりますだ

身近な物語が多すぎてつかれちゃう

Twitterでのちょっといい話、知り合いの専門家から教えてもらったはなし、私たちは毎日いろいろな真偽が不確かな物語を目にします。

クスッとしたり、イラッとしたり、いっちょかみでチョットひとこと言ってみたくなったり。いろんな物語はいろんな感情を誘惑してくるものです。

「人間は見たいものを見る」っていうカエサルの名言が好きなんですが、物語に共感したり反発したりするときって、そこから心のありようが見えてくるんじゃないかなーって自戒する。

無礼なおじさんを若者が叱っているのにスカッとした場合は、きっとまだまだ自分が若者の側に立っていたいという無謀な心があったり。だれかの思い込みを専門家が専門知識で論破したつぶやきにいいねしたくなった時は、じぶんも誰かに専門家だと思われたかったり、浅学をだれかに褒めてほしかったり。

「いいんだ、小説感覚で楽しんでるだけなんだ」って割り切って楽しめれば良いんですが、フェイクニュスのようにそれっぽい物語に嘘が入れ込まれていたり、悪い人の思惑にのせられてしまったり冗談では済まされないことになることにもなりそう。

いまさらだし、もう戻れないけど、誰もが情報発信する世の中、幸せ総量ふえたのかな……